すさまじく“強い”自由主義の入門書「ヨーロッパ思想入門」(岩田靖夫)

本書が強いのは、これだけ茫洋とした印象の書名でありながら、1ページ目で語るテーマをビシッと言い切り、それが非常に魅力的であることだ。

書店で見かけて「ヨーロッパ思想? 気になるがややこしそうだな。何が書かれているのだろう?」などと思いながら手に取り、パラパラとめくってみた。「はじめに」の1段落目にはこうある。

「ヨーロッパ思想入門」と銘打ったこの本で、筆者が意図したことは、ヨーロッパ思想の本質を語ることである。

揺るぎない自信と確信が伝わる言葉選びだ。強い。続けて2段落目冒頭。

ヨーロッパ思想は二つの礎石の上に立っている。ギリシアの思想とヘブライの信仰である。

素人のイメージではいかにも複雑そうなテーマの根本を、2つに整理してしまった。強すぎる。ちょっと飛ばして3段落目冒頭。

では、第一の礎石であるギリシア思想の本質とはなにか。それはまず、人間と自由と平等の自覚である。

ここで購入を決定した。

そういえば小学校の社会科でも「民主主義の発祥はギリシア」ぐらいのことは習うが、当時の先生が言っていた「直接民主主義だと話がまとまらないから議会制民主主義になった」みたいな大雑把な話しか覚えていない。これは礎石から学びなおすべきでは、と感じた。

本編はなかなかに長く、正直のところギリシア神話の話などは少々退屈にも感じられて、今のところナナメに読んだ程度なのだが、今まさに新自由主義にとって代わられつつある自由主義・民主主義について、いくらか解像度高く理解できるようになる、気がする。

中でも興味深かった、ジョン・ロールズの「配分の原理」についての解説を引用したい(P.206より)。

社会主義社会の挫折から明らかなように、人間の自由を制限すれば、人々は活動への意欲を失い、社会は全体として疲弊する。それでは、どうすればいいか。ロールズの配分の原理とはこの問題への対処である。
すなわち、人々の自由な活動は社会的弱者の利益になるという条件の下においてのみ、その存立を許される、というのがこの原理の内容である。

ロールズはその理由として、「能力は個人のものではなく社会の共有財産であるためだ」という考え方を述べている。優れた人はたまたま優れた能力を持って生まれたが、そうはならない可能性もあった。1日中汗水たらして働いた者は力が求められたものであるが、働けなかったものは力なき者であり、両者には同額の報酬が与えられるべきである。

では力を持ちながら要領よくサボっている奴や、力をつけようとする努力すらしない奴はどうなるのか? といった突っ込みを入れたくなることも多いが、昨今多くの人が打ち出し、メンタリストもぶち上げる自己責任論のアンチテーゼとして捉えるべきかと思う。ちゃんと読みなおそう。

わかる人は、わからない人のことが、わからない。「当たり前」を捨てた所にあるヒント

Twitterで衝撃的なツイートを見た。

「茶碗にごはん粒をいくつも残してごちそうさまする奴はダメ」てな内容の、ごはん粒が残った茶碗の写真まで添えられたツイートの返信を読んでいた。なぜそんなところを見ていたのか? おそらく心がヒマだったのだろう。

ツイート主への賛同や食べ方が汚い人への非難、そして「俺もきれいに食べるのが苦手」的な返信が続く中に、天啓のような一言があった。こんな感じの内容だった。

自分も苦手だったけど、あるとき『噛んでいるときにごはん粒を集めておけばいい』と教わってから、きれいに食べられるようになった。もっと早く教えてほしかった
※「いいね」し損ねてオリジナルのツイートを見つけられなくなってしまった。上記は大意

皆さんはこれを読んで、どう思われるんでしょうか?

私は実用書の編集・ライティングに長く携わっている。実用書というのは例えば「手紙の書き方」みたいなヤツで、できない人/わからない人に寄り添い、その人たちがなぜできないのか、わからないのかを考え抜いて、できる/わかるように解説していく。

これは言うほど簡単ではなく、だからこそ上手くやればお金がいただける。私は日ごろから、わからない人は何がわからないのか? を観察・考察し理解しようと心がけているつもりでいた。

しかし、ごはんの食べ方が汚い人は「ごはん粒を残さずきれいに食べ終えるには、食べながら適宜ごはんの集団から飛び出たごはん粒を寄せていけばよい」というノウハウがないのだとは、まったく想像もつかなかった。

実はウチの子供もごはん粒をきれいに食べられないクチだが、単純に「だらしない」とは思っても、それ以上に深く分析しようとは思ったこともなかった。なるほどなあ。できない/わからない理由というのは、ロジカルに考えようとすれば何にでもあるものだ。食べ残しを見て「きれいに食べなさい」と言うだけでは、問題を解決する方法を獲得できなかったわけだ。

いやまあ、大半の人は「汚い食べ終わりになりそうな要素を適宜修正しながら食べればきれいに食べ終われる」ぐらいの思考はできると思うし、「当たり前だろ(呆れ顔)」という反応になると思うんですけども、そう言ったところで彼らごはん粒残しクラスターの問題は解決しない。なぜか? を深く考察し、誰にでも再現可能なノウハウ・ハウツーとして解決方法を伝えることに価値がある。

持てる者は持たざる者のことを理解できない、てなことはよく言われる。特に、自分が生まれながらにして得ていたもの、獲得しようと思うまでもなく獲得していたものを持たない人のことは、マジで想像もつかないものだ。

緊急事態宣言下の都内で「夏」を見に行く #TOKYO2021 #TOKYO2020

ここ何年か…いや何年で効く範囲なのかわからないが…クソ忙しい仕事と、合間を縫っての子供の相手とで身動きが取れずにいた。

が、子供はもう休日のたび連れ歩かなくてもいい程度には手が離れ、なんと今年は仕事の夏休みが普通に取れる! ならばどこかに行こうと思ったものの、県をまたぐ移動はやめてとかいう事態なので、県境ギリのあたりを攻めてきた。

JR赤羽駅から徒歩30分前後。地下鉄赤羽岩淵駅からなら15分弱ぐらい? 赤羽岩淵水門のあたりから、荒川沿いを散歩する。


空が広い。いい感じの雲が出ていて、直射日光は容赦ないが風が心地よい。平日のこの辺にはカラダを鍛えたい人(ソロ行動、滞留しない、コミュニケーションを取ろうとしてこない、が特徴)しか通らないので気楽でよい。


ちなみに、これを見て行ってみようかという方にひとつアドバイスさせていただくと、真昼間はさすがに日差しが強すぎるので、早朝か夕方がいいと思います。私は15時過ぎに行きました。

写真を撮るのにも、夕方のいい感じの斜光が差すタイミングを狙ったほうがよろしい。


羽田空港にアプローチするルートが変わったためか、空にやたらと飛行機を見かける。そして、スマホのたいしたことないカメラでも、意外とちゃんと撮れるもんだ。「斜光」と「入道雲」に、「飛行機」が加わるとぐっとエモみが増していいね。うまいこと全部が重なったところは撮れなかったけど。

想像以上に「夏」感があってよろしかったので、夏のうちにもう一度ぐらい行っておきたいと思う。しかし従来ならばこのへんで今週末あたりに花火大会(板橋・戸田のやつ)があったはずで、そう考えると淋しいものがある。

外山滋比古「ライフワークの思想」という本が目に入ってしまったので、買った

書店でふと目に入った「ライフワークの思想」というタイトルに、何か今の自分にとってのヒントがありそうな気がして買ってみた。

外山滋比古といえば「思考の整理学」が有名であるが、こちらは学生~30代ぐらいまでの、これから諸々を積み上げていく人向けの内容。その年代を過ぎた後の人生について「ライフワーク」という視点から語るのは、面白かろうと。

人生の中で積んできた諸々の経験を「ねかす」ことで、その人ならではの「酒」のようなものができる。混ぜて完成のカクテルではなく、「ねかす」ことで熟成・発酵させたオリジナルの酒であることが大切で、人生の終盤ではいかに自分の酒を造るかを考えるべきだ、と、大まかにはそんな感じのことが書かれている、と理解した。

ところで末尾の「文庫版あとがき」で述べられているが、本書は雑誌掲載のエッセイをまとめたもので、タイトルずばりのライフワークに触れている内容は、第1章に収録のエッセイ2本に過ぎない。

以降の章は「知的生活考」「島国考」「教育とことば」と、無関係とも言い切れないがライフワークそのものの話題だとも思えない。どうも最初は「中年閑居して……」というまったく違うタイトルで出版され、その後文庫化にあたって「ライフワークの思想」と改題されたらしい。

ちなみに、「ねかす」をはじめ、本書の内容の中心となる考え方は「思考の整理学」でも語られていたことの、焼き直しという印象が強い(読み返そうと本棚を探したが、どこかに行っているようで未確認)。

なので第1章以外はナナメ読みしかしていないのだけども、今更そんな新たに構えることもないなと思え、自分の「酒」と言えるものをお出しするのが一番いいのだなあと確認できたという点だけで、面白かった。

ソーシャルメディアの「エコーチェンバー」が破れた話

ネットは、ソーシャルメディアはエコーチェンバー(反響室)である。自分の発言や興味関心と似た情報ばかりが集まり、思考をどんどん偏らせてしまう、といったことが言われるようになって久しいけれど、例外的な事例があったのでメモしておきたい。

ここのところ、YouTubeをよく見ている。仕事中に安心してつけっぱなしにできるラジオ局が特になく、オンデマンド動画配信やらも見たいものは見尽くしてしまったので、それらに代わる仕事中のBGMとして。

YouTubeではゲームや音楽系のチャンネルを見る程度で、一時期は「Among Us」の動画が毒にも薬にもならずいいなと思っていたのだが、数カ月流しまくっているとさすがに飽きてきた。

で、「おすすめ」に表示される動画をパスしまくっていたら、ときどき全然関係性がわからない動画が出てくるようになってきた。

その中で面白くてよく見るようになったのが、「るーいのゆっくり科学」という科学トリビアを「ゆっくり」機械音声で解説するチャンネル。掛け合いの話の運びが気持ちよく、ネタも面白い。

例えば、こんな動画とか。

ゆっくりトリビア系動画をずっと見ていたら、科学系から今度は三国志関係の動画が増え、その後は歴史系動画が増えてきた。

その中で面白かったのが「俺の世界史チャンネル」。こちらも掛け合いのテンポが気持ちいいし、ところどころに作り手の方の感想的なコメントが加えられているのもいい。

三国志から西洋史、人物や事件など切り口が多彩で面白い。タイムリーなところで、伊藤穣一氏絡みの事件も解説されている。

オリンピックの開会式を見て「これだけの国・地域が一旦戦争を止めて集まってるのはスゴいことだ」と感じたのは、こちらの動画を見ていた影響が多いかもしれない。

「俺の世界史チャンネル」のうぷ主さん(ニコニコ動画的な用語だが、チャンネルで自称しておられるので使わせてもらう)は面白い経歴をお持ちのようで、もともとは世界史のブログをやっていて、出版社から声をかけられたが書籍企画が実現せず、いろいろあってYouTubeのゆっくり解説を始めたら予想以上にビュー上がって、「自分のやりたいことはYouTube向けだった」と感じたという。

一時期YouTubeから収益化のアレをはく奪され、機械音声がダメならということで、世界史の講義動画風の実写動画を上げたりもされていたようだ。

私もおそらく「俺の世界史ブログ」だったら見つけても「あとで読む」と思って読まなかった可能性が高く、“ながら”で適当に流しているからこそ見ているという面がある。そういう時代だよなあ、と思いながら自分はこうやってブログを書いている…。

このように、ここのところYouTubeでエコーチェンバーというよりはセレンディピティ的な経験をした。これは要するに、YouTubeに(もしくは世界に)、私のコンテンツ消費に対応できるだけのコンテンツ量がない、ということではないかと思う。だから、少しずつズレたテーマのコンテンツがおすすめされていき、ユーザーである私は変わったものが見られるようになった。

ちなみに、一時期ASMRの環境音動画を見ていたら、「ASMR耳なめ動画」的なヤツがバンバン出るようになったりもしたこともあった。もしかするとYouTubeのおすすめの仕様が不思議、というだけの話になるかもしれない。

老眼鏡を買った(テスト投稿5)

体の中で目(視力)がいいことだけには自信があったが、視力がいい人は老眼になるのが早い、と言われるようになったのはどれくらい前か。まだそんな兆しもないですよ問題ないっす~と思っていたが、あるとき気付くと、近くのものを見るのが少し辛くなってきた。

かかりつけの眼科(ドライアイ気味なのと、瞳孔が普通より大きいだか何だかで「ひょっとしたら緑内障になるかもよ」と健康診断で毎度脅されるので、ときどき眼科に通っている)で視力を測ってもらっても問題ないと言われるが、実は大人の階段上っちゃったみたいで~と話すと、老眼は視力検査の結果時代には影響を与えず、近くのものを見るときのピント調整能力の問題だという。詳しい説明は忘れた。

そんなこんなで、50手前にして老眼鏡を買うことになった。老眼鏡には2タイプあり、レンズ全体に度が入っているものと、レンズの下の方にだけ度があるものがあるらしい。老眼の影響があるのは主に手元の作業であるから、下側にだけ度があるのは合理的なんだそうだ。

眼科の人は「どうせ数年経ったら買い替えないといけないですから、とりあえずは安いものにしておきましょうか」とか、おそらくはフォローのつもりで提案してくれたが、それは要するに症状が進むからってことでしょ? と思うと気が滅入る。

そんなこんなで老眼鏡を買ったのだが、日常ではほとんど使っていない。PCやスマホの画面から、近くてもほぼ問題ないんですよね。発光しているからか? 本を読むときなどに、疲れを感じるとたまに使っている。目がしんどくて仕事ができない、となると困ることもあるので、現状では保険として持ってる、という感じなっている。

老眼鏡を使い始めて、初めて知ったことがある。

ドラマなどで、メガネをした初老の紳士が誰かと話すときにメガネちょっと上げたりするシーンがある。なんで相手を見るときにメガネを外すんだろう? ご疑問に思っていたのだが、老眼鏡だと、手元の作業には必要だが、話し相手を見るときには外したほうがよく見える、というか外さないと見づらい。

なるほど、年をとってみて初めてわかることもあるもんだ。

オリンピックの開会式を見た(テスト投稿4)

自国開催であるし、さまざまな揉め事により気になるイベントになってしまったこともあり、東京オリンピックの開会式を見た。

オリンピックって「平和の祭典」だと言うじゃないですか。それってフワッとして空虚なコピーだなと感じていたのだけど、各国・地域代表の入場行進を見ていたら、「平和」というのは日本の日常に当たり前のようにあるコレではなく、「戦争をしない、戦争を一旦止める」ということなんだなと理解した。お恥ずかしい。

コロナ禍が収束していないのに、当初の説明の何倍ものカネを使い、開催国の市民に不便を強いて…という面ではむしろ「平和」を侵しているのではないかと思える部分もある。また、大規模になりすぎ商業化しすぎといった問題もあるのだが、世界のほとんどの国・地域から人が集まり、争いを一旦忘れてスポーツで競い合うことができることを、よかったと感じている人たちが世界中にいるのではないか。

というか私が、例えば台湾や中国や香港の選手団が入場してくる様にああ、なるほどなあ…と感じるものがあった。

競技に出る選手のためというよりも、選手を送り出した世界中の人たちのためのイベントとして、開催される意義があるのだろうなあと感じた。

写真は、2016年7月の国立競技場(解体後)。このころはまだデザインに関して大揉めに揉めていた記憶があり、翌年には工事関係者の自殺事件が起こる。

意義があるとしても、現状のオリンピックには問題も多い。しかし問題が多いにしても、多くの人がこの大会を目指し、さまざまな形で力を注ぎ、注目していることも事実。そうした思いや努力は受け止めたい。

ゲーム「ウマ娘」、よくできた無間地獄(テスト投稿3)

渋谷のオシャレめなカフェで食事をしていたら、隣の席の男女が「ウマ娘っていうコンテンツが今すごいんだって」という話を始めた。

2021年3月の、緊急事態宣言の合間のこと。ちょうどゲーム「ウマ娘」がどえらいセールスを叩き出して注目を浴び、アニメは第2期が大盛り上がりで完結、といった時期であった。

印象的だったのはその「ウマ娘」自体には微塵も関心がないことがわかる口調で、「今すごい」という現象を語りながらも、アニメやゲームそのものには話が向かない。男が「でもオタクにそんな財力あるのぉ?」とか言いだし、女は知らんがなという反応をして、彼らの話は終わった。

要は「スポーツもの」だから誰にでも楽しめる

アニメ「ウマ娘」は面白い。「萌え」とかいうのが流行って以降のアニメはどうも理解できず敬遠していたが、「ウマ娘」は楽しめた。

Amazon Prime Video等の定額見放題サービスで手軽にアニメが見られるようになり、分かったことがある。設定がいくら「競走馬の名前の付いた女の子がいっぱいいる」とか狂気じみた作品でも、ストーリーの構造がスポーツものみたいな誰にでも理解しやすいものであれば、理解できるし楽しめる。設定には、そのうち慣れて当たり前に受け入れられるようになる。人間の適応力ってすごいね。

という事実を、「女子高生が戦車に乗る」という設定の「ガールズ&パンツァー」で認識した。「戦車道」というわけのわからん架空のスポーツがテーマになっている「ガルパン」に対し、「ウマ娘」の場合だと要は“かけっこ”がテーマなので、話はよりシンプルで、それだけにアツくなれる。

言わずもがなだが、バックグラウンドにリアル競馬史があるのも超強い。

ゲーム「ウマ娘」の高い完成度

ゲームの「ウマ娘」は、発表だけされて長らくリリースされていない、てな噂だけは耳にしていただのだが、ようやくリリースになり、周りのゲームする人たちの評価がやたらと高いので手を出してみた。

確かによくできていて、おもしろい。自分がトレーナーとなってウマ娘を育成し、レースを制覇していくという内容なのだが、勝ったときは驚くほどに嬉しいし、負けたときにはさらに研究して勝ったるで! という気になる。実際の競馬をかなり高度にシミュレートしているそうで、いつの間にか競馬にも多少詳しくなっていた。

ウマ娘には「スピード」「スタミナ」「パワー」「根性」「賢さ」というパラメーターがあるが、スピードだけが高くてもレースで勝てるわけではない。レース(競馬)は純粋にタイムを競うのではなく、ほかの出走バとの駆け引きだ(他人の受け売りです)。

そのため、有利なコース取りができるよう「賢さ」を上げることも大事だ。終盤に後ろから飛び出す「差し」ウマなどは、加速力やバ群を抜ける突破力に影響する「パワー」が重要になる…のだそうだ。

そんなこんなで、これくらい(↓)まではやり込んだ。「タウラス杯プラチナ」と「ジェミニ杯プラチナ」は、ゲーム内のレースイベントで決勝レースに進出し、3人1組のそのレースで1着にならないと貰えない称号なので、単純計算で9人に1人以下しか持っていないはず。

プレイするほど「失敗」が増える

でも、そろそろ疲れてきたので、次のレースイベントはそこまでやり込めない気がする。

いわゆるソシャゲは、要するに全体が小さな成果を積み上げていく「やりこみ要素」なのだと認識しているのだが、ウマ娘の場合少し違って、積み上がらない「やり直し要素」という感じがある。

抽象的にいえば、ウマ娘は次のような要素を持つゲームだ。育成した強いウマ娘をレースに出すため、一度80点のウマ娘を育成できたら、次は80点以下では成功とは言えない。81点が出たら81点、90点が出たら…と、「成功」の水準は徐々に上がり、要するにプレイすればするほど「失敗」の率が上がる。いうなれば「何度タイムリープしても失敗」の世界になっていく。

こういう現象を回避する方法は2つあると思う。1つは、新しい育成対象のウマ娘や育成を強力にサポートするウマ娘を入手すること。ただ自分の場合、ある程度のレベルまでは揃ってしまったし、次のレベルに行くには排出率3%のSSRサポートを複数枚揃えないといけないという、大変ハードルが高いところに来てしまった。

いわゆる「課金」でアレしても、単に成功の水準が上がってプレイ体験そのものは買わないと思えるので、あまり課金する気にもならない。難しい。

もう1つは「成功」のベクトルを変えること。これまで80点の育成結果は長距離レース向けだったとすれば、短距離レースのイベントをプレイすることで、短距離向け80点も成功となる。しかし、これもやり尽くしつつある感がある。

最近は、10~20回の育成で1回ぐらい「まあまあ」以上の成果を得られる感じなのだけど、1日に3~5回程度育成をやるとしたら、数日に1回なんだよな。それ以外は単にションボリしながらアプリを閉じる。これに、楽しさが感じられない。

成功でない育成にも「因子」という後に繋がる=積み上げになる要素があるといえばある。だが、いい因子が得られる確率は極めて低い(だいたい1~2%ぐらいになるようだ。「いい因子」の定義は省く)。

ということで、どうも自分にとってはやり込めばやり込むほど楽しくない時間が増えるという状況で、これより先はちょっとできないかもなーという感触がある。

このあたり、“かけっこ”がテーマであるというシンプルさのネガティブ面である気もする。おそらく、リアル競馬は馬の寿命(レースに出られる期間という意味で)があり、そこに多くのドラマがあるのだろうけど、ウマ娘にはそれがないからなあ、少なくとも現状のシステムでは。

とはいえ、ちょっとした何かがあれば楽しめると思うし、根本の部分はよくできた楽しいゲームなのだと思ってはいる。

ウマ娘に課金しているのは誰なのか?

冒頭の男の話ではないが、ウマ娘に課金しているのはどういう層なのか? というのは気になっている。競馬ファンのプレイヤーが一定の割合でいるが、どうも競馬ファン層はカネの使い方のレベルが普通のソシャゲプレイヤーとは違うのではないか? という気がしてならない。

見えているサンプル数は少ないけど、なんかこう、「推しウマ」が出れば息をするように天井し、性能の高いウマがいれば当然のように天井する、みたいな人が結構多い気がする。「天井」というのは簡単に言うと、ガチャを一定回数回すことで好きなヤツを1つ自由にもらえるシステムのこと。「ウマ娘」の場合は6万円分回すことで1天井できる。

ゲーム「ウマ娘」は、競馬という競技そのものや競馬をとりまく文化、さらには競走馬たちへのとても強いリスペクトが感じられる作品だ。が、それだけでなく「競馬ファン向けにこういうゲームぶつけたら絶対稼げる!」みたいな見込みもあっての企画だったとしたら、すごいなあ、頑張ったなあと思ってしまう。

氷川台 レストランMÛR(ミュール)(テスト投稿2)

TBSラジオ「伊集院光とらじおと」火曜日のコーナー「俺の5つ星」で紹介されていたお店に行ってきました。このコーナーは、リスナーから思い出の飲食店のエピソードを投稿してもらい、そのお店が今どうなっているかを、リスナーから情報を募りながら調べていくというもの。

何十年も前の(多くの場合は曖昧な)思い出として紹介されたお店が特定され、今どうなっているか分かること自体が少なく、さらには消息の分かったお店が営業していることとなると、極めて少ない。そして、このお店はそれだけでは終わりませんでした…!

思い出で語られていたお店を一度たたんだオーナーシェフは、世界各国で日本大使館の料理人を務め、また国内に戻って「ミュール」を開店したという、超絶レアエピソードつきで紹介されていました。とどめには思い出を投稿したリスナーに食べてもらって「おいしいけど、なんか思い出とは違う」というオチまで付いた、そんなお店が普通に行ける範囲にあると知ったら、行くしかないでしょうそりゃもう。

思い出のメニューとして語られていたのが、ハヤシライス。ミュールでもハヤシライスを出していて、シェフいわく「同じレシピで作っている」だったが、投稿者の思い出の味とは合致しなかった…という話は赤の他人である私にはどうでもよく、感動的にうまかった。

ハヤシライスって外食でわざわざ頼むメニューではなくて、「味がはっきりしないカレー」「ソース味のカレー」ぐらいの印象しかなかったんだけど、そういう認識は改めなくてはいけません。豊かな歯ごたえのある薄切りの牛肉と玉ねぎに、深い味わいの持つソースが絡み、実にリッチな味わいでした。

これが日本の外交を支えた味かぁ…と。

このお店ではエスパニョールソースを使っているそうで、デミグラスソースを使うと「ハッシュドビーフ」、トマトソースで「ハヤシライス」とするのが一般的だという説を見るに、相当に珍しいのかもしれない。でも、実は多くの店では隠し味程度に使っているのかもしれなくて、そのへんはよくわかりません。

参考:
ハッシュドビーフ、ハヤシライス、ビーフストロガノフの違いは何ですか?|お客様相談センター|S&B エスビー食品株式会社

会計してお店を出るときに「伊集院さんのラジオで聴いて来ました」と言ったんですが(それらしき客がチラホラいた)、「伊集院さんのラジオは反響がすごくて…!」だそうで。そりゃあ、あんな紹介をされたら皆行きたくなりますよね! となりました。

そういえば、ミュールのご主人も聞いているのだけど、火曜日だけは定休日なので聴いていなかった、というこれまた絶妙なエピソードも紹介されていたっけ。すごいもんだなあ、伊集院。

国立競技場(テスト投稿1)

2021年春のある日、国立競技場ができているのを見に行きました。どうなるんだろうね東京オリンピック。ここが惨劇(感染蔓延の意味で)の舞台となることもあり得るのだろうか。


周りがガードに覆われているけれど、これがまだ工事中であるためか、それとも防犯や侵入防止のためなのかは不明。

国立競技場のウェブサイトを見ると「現在東京2020組織委員会による大会準備のための工事が実施されており、テストイベント等を除いて、見学を含めご利用いただくことはできません」と書かれているので、まだ工事中ということのようです。


この段階で見物に来ている物好きは少ない。セルフィ―を撮ってる外国人がいた。