「何のために書くのか?」への答えをどう用意するか?

執筆

「書く」ことへの熱量が高い本を読んだ(「ライティングの哲学」。著者4氏の貴重な“苦悩や煩悶”がたっぷり綴られた怪書)影響もあってか、ちょっと「人は何のために文章を書くのか?」のような、青臭いことを考えていた。

ネットの普及により、人は書いたものを手軽に多くの人へ届けられるようになった。かつてブログがブームになりだしたころ、慶應大学の村井純教授に取材する機会があり、とはいえ実質5分も時間がなかったので「ブログとは何ですか?」とウルトラスーパー雑な質問をぶん投げたことがあった。

村井教授は「個人をエンパワーメントするものです」と即答してくださった。予想もしていなかった言葉だったが、まさしくソレですわ! な回答に震えた。

この手の雑な質問を批判する向きもよくわかるが、現場の状況的にぶん投げるしかないこともある。それでも美しい答えを返してくれる人は、まったくもってスターだなあと思う。話が逸れた。

読まれにくい時代になっても「書く」意義はあるのだろうか

ネットのある時代、「書く」ということは、すべての人にとって「発表する、発信する」ことまでがセットだ。そう考えると、「書く」を取り巻く状況はこの10年ほどで悪い方に大きく変わったと思う。

今は多くの人にとって、「誰かが書いた文章を読む」ことに割く可処分時間は大幅に減っただろう。そして読むべき文章を探す手段は、SNSのトレンドやGoogle検索の上位数件あたりに絞られるようになっている。

要するに、爆発的に情報が増えた結果、読まれる機会を得られる文章は一部に偏り、ブログなり何なりを書くことによってエンパワーメントされるか、けっこう怪しくなってきている、と思う。

こう思うのには個人的な体験もある。ここ数年は過労死 or 餓死のレベルでクソほど多忙を極めていたこともあり、ブログなどネットに流れる「誰か」の文章を読む機会はほぼゼロになった。そして、たまにTwitterなど見ても、なーんか世の中への提言みたいな大上段に構えた発言ばかりに見えて、つまらなく感じた。

だが不思議なもので、ちょっと時間ができてTwitterもちょいちょい眺めるようになると、大上段に構えたナニばかりではないいろいろな発言が見えてきて、Twitterを見る解像度が上がってきたように感じる。すると、「バズったやつ」ばかりでない、面白いものがときどき見られるようになってきた。

このあたりには、TwitterのTLを生成するロジックの問題もあるのかもしれない。見る頻度が少ない場合は「バズった」ツイートが主に並ぶが、頻度が増えるとバズったヤツなかりでなく、フォロイーのツイートが並ぶようになる。こうして人はレコメンドエンジンの支配から逃れられるのだ…!

クソ忙しいときには、自分がそこに何かを書いて放流することの意義なんてもうないと思ったが、こうなってくると、やっぱり自分が書きたくて書いたものは、それに意義を感じてくれる誰かに届き得るんじゃないか、と思えるようになってきた。ある意味では何かが「回復した」のかもしれない

ブログブームの頃か、その前か、誰が言ったのか忘れたが「読者を信頼して書け」のような話があった。複数の人が異口同音に言っていたかもしれない。自分にとって、読み手としての経験と書き手としての経験は鏡に映った両面のようなもので、双方がつながり、世界を信頼できるようになることで書けるのかもしれないなと思った。だめだこれは散漫な話になってきた。

証を残すために書く

「何のために書くのか」という問いに「書きたいからだ」とか言って煙に巻くのもナシではないかもしれないが、もう少し言葉を選んで「自分の(思考の)分身を残したいから」と答えたい。

自分は一生結婚もしないし子供を持つこともないだろうと思っていたころは、せいぜい何かを書き残すことで生きた証としたいと考えていた気がする。その予定はいろいろあっていい方に狂ったが、まあそれはそれで、やはり純粋に自分から出てきたモノを残して、誰かに拾ってもらうことを期待したいなあ、というような気持ちが今はある。

Googleに問うてみた

「何のために書くのか?」の答えをGoogleで探したらどうなるのだろうか? とふと思って検索してみた。

トップに表示されたのは、noteの記事だった。うまい言葉が引用されてまとめられている。なるほど模範的な回答だなと思う。

人は何のために文章を書くのか|Jack|note

もう少し下の方には、もっと尖った言説もあるだろうか…と見ていったら、「ブログでは検索キーワードにマッチする記事を書く」というパンチの効いた記事を見つけた、誰かと思ったらロリポップ(当サイトでも利用しているレンタルサーバー)の解説記事だった。お世話になってます。

ブログって何を書くの?ブログで書くことを見つける5ステップを解説│教えて!レンタルサーバーのこと – ロリポップ!レンタルサーバー

そのほか「遺書は何のために書くのか」「自分史は何のために書くのか」のような記事もあった。“「自分とはいったい何だったんだろう」という自己分析ないし意味付けを行った上で、残されたコースの生き方を考えるということです”という、自分史の話は特に面白かった。

自分史の書き方―目的、準備から文章作法まで

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