存在しない記憶への懐かしさで泣ける写真集「誰か晩夏を知らないか」(記録舎)

雑記

廃墟趣味というのがあるけれど、あれはちょっと違う。朽ちてしまったものが見たいのではなく、時の流れの中で積み重なった人々の営みの痕跡、「自分は体験しなかったが確かにここにあったもの」を思い起こさせるものが見たいんだよ。

とか何とか、ひとに理解されにくいことを常々考えていたのだが、それにジャストミートな写真集(同人誌)を入手できて感激している。

かつて田舎を出て上京し(3月末)、初めて帰省した(5月頭)とき、やたらとキラキラとした緑に包まれた田舎の景色が、異世界のように感じられて驚いたことを覚えている。

せいぜい1カ月ちょっと離れていただけなのに、それまでは単なる見飽きた景色だったのに、ちょうど新緑の季節とはいえ、あまりにも新鮮すぎる印象を持って目に入っていた光景や、何も変わった風でない地元の人々に、なんんとも変な感じがした。こっちに自分の選ばなかった方の人生が続いている、といったような。

大石まさる氏の「みずいろ」というマンガで、いろいろあって初めて訪れた田舎の土地を眺めた女性が、「都会生まれ都会育ちの自分にも、この風景を『懐かしい』と思う感覚がある」といったモノローグがあって、そんなものかなあと思ったのも、頭に引っかかっている。

それは、映像作品などで刷り込まれた記憶なんだろうか。それとも「日本人のDNA」のようなものがあるのだろうか?

「ノスタルジー」とか「懐かしい」というのが、よくわからないんですよ。私は自分の田舎も、子供時代も、「懐かしい」とかそういう言葉で語りたい気にはらない。特別嫌なことがあったわけでもないけれど、ぽいっと飛び出してこられる程度にしか思い入れはない。

ただ、それはそれとして、自分の知らない世界のとこかで、生きていた/いる人たちがいて、それらが無数に積み重なって今こういう風景ができあがっているのだ、と思うとき、無責任な憧れのような感情が湧く。

そして、それはおそらく、過去の記憶が何らか影響している。ノスタルジーというのは、本当にあった過去へ向けた感情に限られるものではないらしいから、こういうものも正しくノスタルジーであり、「懐かしい」という感情なのだろう、たぶん。

異国の風景を見て感じるのは、ノスタルジーのようなものとは違う。でも、東南アジアなどのいくらか近い地域で昭和の日本のような面影がある風景を「懐かしい」と言う人もいる。何か過去の記憶と共通点を見いだせることが、ノスタルジーの鍵なのかもしれない。

都会がつまらないわけではないが、田舎の風景の多様さは本当に興味深い。かつては時間が自由に使え旅にも好きに出られるご身分であったこともあったけれど、一人旅に出ると私はなぜか「移動」に集中してしまい、あまり余裕を持って旅を楽しめないタチであった…。なので、こういう写真集を見つけられたことは、本当にうれしい。

作者の方は「道民の人」さんで、確か、何年か前にものすごい山奥の廃村に行ったとかツイートをされていて、変わった人がいるなと思ってフォローしていたと思う。

写真集にも収録されている写真のツイートを、何点か紹介したい。

タイトルとURLをコピーしました